2003/06/20 サーバーの容量の関係でラジオ配信をやめます。
金砂大田楽支援の会 主催
生田目靖志 史学者による講演会記録
ラジオ講座
T 天台宗と五山(東西金砂・堅破・真弓・花園)開基の関係
(「金砂両山大権現縁起」・「華園山縁起」・「金砂山御田楽祝詞」などによる)
@役小角(えんのおっね)の開基(大宝2年 702)(金砂山)
A坂上田村麿(さかのうえたむらまろ)の五山草創(延暦14年 795)
B慈覚大師(円仁・宝珠上人)が中興(大同(だいどう)元年 806)
日光連山の山岳信仰(天台宗)との結び付きとその影響
※円仁が使った「楚語テキスト(サンクリット語ー>漢字ー>かな)」京都・東寺で確認
(1999・10・25付新聞)
※天台宗「仏神あげて国家鎮護、五穀豊穣を祈念する思想」が天台宗 の流れをくむ常陸国の山岳寺院にもたらされる。
また、坂上田村麿の蝦夷征伐の成功に結び付き、天台宗の神社・寺院の総研・普及となる。
→ 鎌倉幕府成立後、「国家鎮護」の修法(=思想)は「鬼魔・妖怪の調伏と五穀豊穣による万民安楽」の修法が主流となり、
金砂山などは、(京都からとりいれた庶民を中心とする)田楽を中心とする農耕儀礼が盛大となり、庶民信仰と結びつく。(庶民と天台宗、庶民信仰=>田楽、だから第5回目から田楽舞が行われるようになった)
修験道霊場<役小角(えんのおつね)>と山岳信仰<日光連山>・坂上田村磨の戦勝祈願・慈覚大師による天台宗(後に勢力争いで真言宗に押され変わるが・・・)の普及となり、東西金砂神社と大祭礼と田楽が生まれる。
(第5回 1139年 から田楽が始まる)
U 金砂山の神と磯出(856年12月29日条(伝説))「ぶんそく実録」
(神が大洗の磯崎神社に戻ってきた)-->磯出が記録され、そのような考えがされるようになってきた。
1金砂山の神(オオナムチ・スクナヒコナ両神)←日光連山からの伝来?
※西金砂は国常立命(くにとこたちのみこと)の三神、(東金砂神社は二神?)
2「東金砂山・西金砂山.真弓山 此の三社は磯出、四月八日 水木浜に御行幸(おんぎょうこう)遊ばさる……」←常陸五山は「オオムナチの神」を祭神とする。(常陸五山のすべての神が磯出をしている。) 「華園山縁起」
3「田楽場、金砂山祭礼、七十二年に一度づつ歳出大田楽あり、治暦三丁末の年(1067)、始めて祭りしより十四度に及ぶと云、又金砂の神は、 是浜(水木)磯大しまと云所より出現し給ふとも申伝ふ」「水府志料」水府村の項
※磯出と浜降りの相違 ?
磯出=(神は山にいるのではなく、磯に出現するのだ。これを再現(持って来る)する祭。山から磯に行くのではない)、磯が神事である。
浜降り=(海水が神事である)。
V 西金砂神社(大同元年 3月11日)創建の伝説とその経過
「金砂神社田楽舞」
W 金砂田楽の由来と歴史的価値
1 田楽の起源と田楽の分布「金砂神社田楽舞」「西金砂の祭礼と田楽」(猿楽と似ている)
2 西金砂田楽の起源、趣旨、内容「同上」
農民の労苦を祭る。東海中部19、東北近畿6、関東3、九州1、
あさくさ、ふたあら、ひよし、びでん八幡、凝っているもの= 奈良(春日若宮)、茨城(金砂田楽)、豊橋(しんめい)
3 金砂田楽の歴史的価値「同上」
※ 「・・・田楽の名称を保存せるもののみにてもまづ、常陸には久慈郡金砂郷村(現金砂郷町)の金砂大明神の神事あり、・・・」田楽の筆頭に金砂田楽を挙げている(「柳田国男集」)
※ 「・・・関東では、元の日光の田楽、王子権現の田楽、浅草神社の田楽が代表的なものだが、其れと同じ様に名高い田楽が常陸国久慈郡金砂という修験の山に保存されている。・・・とにかく、昔から名高い田楽である」(関東三大田楽と同じレベルと評している)「折口信夫全集」
X 大祭礼の趣旨とその概要「同上」
Y 大祭礼の変遷とその概要「同上」
Z 東西金砂神社大祭礼執行日時「同上」
1東金砂神社 3月25日〜31日
2西金砂神社 3月22日〜27日(旧2月4〜10日)
[ 近世の金砂大祭礼について「同上」
1近世(江戸)の大祭礼回数(4回)と安政6年(1859)大祭礼延期(2年遅れ)の理由(水戸藩、乱のはじまり)
12回目 1643年、 13回目 1715年、 14回目 1787年 15回目 1861年(蒔絵)
2水戸藩時代の大祭礼の費用とその概要(加藤寛斉「常陸国北郡里程間数之記」・「加藤寛斉随筆」
\ 新旧小祭礼の比較(「西金砂の祭礼と大田楽」)
] 昭和6年(1931)の大祭礼の行列人数と費用(同上)
毎日6〜7万人 、延べ100万人。
]T 昭和6年(1931)の大祭礼 いはらき新聞による余談
1 臨時列車と参拝者数と事故
2 田楽用大天狗の面紛失事件など
3 昭和12・18年の小祭礼と神輿逆送事件
]U 2003年に向けて